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源実朝(鎌倉右大臣)と、
その和歌。
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実朝について(文責・尾崎克之

実朝と第二次大戦下の愛国主義
1942年、日本文学報国会によって国家ならびに一部新聞社の協力を得て「愛国百人一首」が選定され、発表された。その選定基準は、万葉時代から幕末までの作者が特定できる和歌であること、愛国の精神が明朗かつ積極的に表現されていることとされた。同時代の歌人として、西行の「宮柱したつ岩根にしき立ててつゆも曇らぬ日の御影かな」、定家の「曇りなきみどりの空を仰ぎても君が八千代をまづ祈るかな」らと並び、実朝の歌も一首選定されている。

選定されているのは、次の一首。定家所伝本「金槐和歌集」では最終663首目に収められた歌である。

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山は裂け海は浅せなむ世なりとも君にふた心わがあらめやも
(読み:やまはさけうみはあせなむよなりともきみにふたごころわがあらめやも)
(意:山が裂け海が干上がるような世であっても上皇様(後鳥羽上皇)を裏切ることは私にあっては決してありません)
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二十二歳の時、和田合戦の起こる少し前、実朝は正二位に叙せられた。それに際して詠んだ三首のうちの一首である。

中野孝次の『実朝考 ホモ・レリギオーズスの文学』(1972年)は、この一首に対する考察を導入として始まる。当時の一般からのある新聞投書「日本の民衆はいまようやく自由を得たなどという、安易な考え方こそ、民心の堕落と腐敗を促し、祖国を敗亡へと導きつつあるのだ」を引き、中野孝次はこう言っている。
「ぼくは今こういう発言が少しずつふえ、それによってこの国の空気が微妙に変質しつつあるのを感じている。最近のある種の古典復古主義ムードさえもその一つのあらわれのような気がしてならない。そしてふいにまたある朝、実朝のあの美しい歌が、「君」への捨身の心情を支えるものとして利用されだすかしれないとさえ思う。」
この一文が書かれてからすでに三十年以上がたつが、今またさらにその意味は強くなり、控えめに言っても、「君」を指すその意味・実体が都度姿を変えながらずっと“ふいにまたある朝、実朝のあの美しい歌が、「君」への捨身の心情を支えるものとして利用されだすかしれない”ままであることは間違いないだろう。

平和主義だとか人道主義だとかということを言いたいのではない。それらのことが、システム維持が希求するキーワードつまり効果、必要、効率などというキーワードの前にはあまりにも弱いことは歴史が証明している。今重要なのは、それらのキーワードに正対して立ち、“この国の空気が微妙に変質しつつあるのを感じている”、その空気が引く道に進むこと、方法をとること自体がそれらのキーワードに反するシステムにすでに時代が突入してしまっているのではないか、つまりその方法は今後もはや効果を持たないのではないか、すでに必要を失っているのではないかという視点から考え直すことなのだ。

愛国百人一首には、本居宣長のあまりにも有名な一首「しきしまの大和ごころを人問はば朝日に匂ふ山ざくら花」も選定されている。
この一首については、愛国ということや日本の美しさということに直進する前に、橋本治『小林秀雄の恵み』(2004~2007年)の第二章「『本居宣長』再々読」の中の一節「私的な歌人」という極めて明晰な考察があることを知るべきだろう。その中で結論に近く、橋本治はこう書いている。

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本居宣長は「歌人」として終わり、「歌人」として存在しているのである。誰とも交わらず、その作を「駄作」と評され、そのことに頓着しなかった「私的な歌人」として。
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「私的な歌人」とは“多様”の認知と承認ということに他ならない。現代の頭脳は現代の頭脳としてきちんと働いていることを知らされ、橋本治の著作にあってはまずそれが感動的だ。


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