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源実朝(鎌倉右大臣)と、
その和歌。
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関連文献書棚(文責・尾崎克之

小林秀雄『実朝』
小林秀雄『実朝』(昭和18年)

『実朝』は昭和二十一年刊行の単行本「無常といふ事」の六篇目、最終篇として収められた随筆である。現在の一般的な荷姿である新潮文庫版「モオツァルト・無常という事」だとこの後に『平家物語』『曽我馬子の墓』という具合に続いていく。『実朝』の有名な最終行“ここに在るわが国語の美しい持続というものに驚嘆するならば、伝統とは現に眼の前に見える形ある物であり、遥かに想い見る何かではない事を信じよう。”にたどり着くとき、ここでどうしてもいったん本を閉じたくなる人がいるとすれば、それはつまり道理というものなのだ。橋本治は「小林秀雄の恵み」の中で、『西行』については“言いたいことがかなりある”としたうえで『実朝』については“文句がない。非の打ちどころのない、見事な「源実朝論」である。”と書いた。「これで古典がよくわかる」の中で橋本治が章立てた<源実朝はおたくの元祖><源実朝の和歌に人気がある理由>の二つは短文にして明晰で、それを詳しく書こうとすると小林秀雄の『実朝』になる、ということのように見える。だから橋本治は今後もきっと実朝については長いものを書くことはないのだろうと予想がつき、源実朝と橋本治の愛読者にとっては残念になる。

『実朝』を梗概すれば橋本治の<源実朝はおたくの元祖><源実朝の和歌に人気がある理由>になるわけなので、それはそれで済むものとして、面白いのは、小林秀雄の和歌に対する愛着の方法である。『実朝』に掲出した二十首(吾妻鏡の“出デテイナハ”は実朝の作とは数えない)は十九首までを定家所伝本に拠り、次の一首だけは岩波文庫版金槐和歌集(斎藤茂吉校訂・貞享本が底本)から引いている。

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我こゝろいかにせよとか山吹のうつろふ花のあらしたつみん
(意:私のこの心持ちをどうしたいのだろう、山吹の花が散っていくところをさらに嵐が吹きつける。)
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『実朝』で“貞享本所載のものの方が、いかにも立派で面白い歌と思われ、これを捨てる気持ちにはどうしてもなれなかったという以外に理由はない。”と註され、比較された定家所定本所載の歌は次の通りである。

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わが心いかにせよとか山吹のうつろふ花に嵐たつらむ
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“らむ(らん)”と“みん(みむ)”の違いだが、金槐和歌集にあっては定家所伝本が昭和七年以降はいわゆる定本とされ、また、“みん”にあっては解釈のしようがないのだが、小林秀雄はこちらを“立派で面白い”と言う。金槐和歌集にはこういうことがままあって、これもまた興味の尽きないところなのだが、たとえば斎藤茂吉は“旅を行きしあとの宿守おのおのに私あれや今朝はいまだ来ぬ(意:旅から帰ったのだが、留守番の者たちは今朝、それぞれに私用があるのだろう、まだ姿を見せていない)”を、“おのおの”を誤写したとされる貞享本の

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旅をゆきし跡の宿守おれおれにわたくしあれや今朝はまだこぬ
(註・実際には、おれおれの後の「おれ」はくの字点)
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の方を面白いと考え、“おれおれ”をなんとか自立させようとして「『おれおれ』未練の記」というものまで書いている。和歌はその名の通り“歌”なのであって、まず読んだ、または歌った感じというものが第一に作用するという明快な事実がこれをもっても分かるのではないか。ふたたび橋本治だが、対談集「橋本治と内田樹 」の中にこんな言があり、つまりはそういうことなのだ。

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つながってりゃいいわけじゃないですか。和歌を解釈しなさいと言われて、正確に解釈なんかしにくいじゃないですか。掛け詞があってというようなものだから、掛け詞が正確にはまっているのかいないのか、そのはまっていない美しさも音のものだからあるわけじゃないですか。和歌なんて、うまく続いていれば拍手がくるというもので、論理的にはどうでもいいんだな。
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金槐和歌集の、ことさらに技巧的で意味の通りにくい、太宰治が『右大臣実朝』の中で鴨長明に“嘘をおよみにならぬように願いまする”と言わせもした「巻之中 戀之部」の一連の歌の存在の何とはなく釈然としない感じはこれですっきりする。


ひき続き、吉本隆明「源実朝」中野孝次「実朝考 ホモ・レリギオーズスの文学」を掲載してまいります。


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