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源実朝(鎌倉右大臣)と、
その和歌。
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関連文献書棚(文責・尾崎克之

太宰治『右大臣実朝』
太宰治『右大臣実朝』(昭和18年)

“アカルサハ、ホロビノ姿デアロウカ。”の一文があまりにも有名である。実朝が平家琵琶を聞きながら臣下に語る科白で、後にこう続く。“人モ家モ、暗イウチハマダ滅亡セヌ。” 太宰治は、実朝の科白および歌をすべてカタカナ使いにした。その、静かに抑揚無くゆっくりとしゃべる感じに、実朝の、他の人間達のいる位置からの浮遊、または浮遊させておきたいという太宰治自身の希望が強く表れている。『右大臣実朝』は源実朝に対する太宰治の真摯なラブレターであることは間違いなく、実朝に魅力を感じる者にとってはその愛しく思う心持ちが切実に共有できて、つまりは何度も何度も読んでしまうことになる。

太宰治が愛読した金槐和歌集は岩波文庫版(斎藤茂吉校訂)であることがわかっている。昭和四年に佐佐木信綱によって件の藤原定家所伝本が発見され、岩波文庫版は昭和七年にはそれが巻末に増補された(本文間に増補されて現在の形になったのは昭和三十八年版から)から、太宰治はもちろん歌の元を定家所伝本に拠っているが、仮名漢字の使いはまったく太宰治独自のものとなっている。カタカナ使いにしてあるという以外に、たとえば『右大臣実朝』に掲出された次の歌、

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タマクシゲ箱根ノ水海ケケレアレヤ二クニカケテ中二タユタフ
(意:箱根のみずうみには心があるのか、二つの国(相模と駿河)の間をとりもってたゆたっている。)
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の漢字使いは岩波文庫版には無い。カタカナで開けば水海はミウミとなり、芦ノ湖をさす。通常、ミウミは、定家所伝本の詞書にもある通り、箱根権現のつくり給った畏敬すべき湖という意味で「御海」と書くが、太宰治はそうしていない。『右大臣実朝』には計十六首が掲出されているが、内、岩波文庫版の漢字使いに順じているのは「山ハサケ海ハアセナム世ナリトモ君二フタ心ワガアラメヤモ」の一首のみである。すべてを書き下して独自のものにしたかったのだとすれば、なぜこの一首だけ出典に順じたのかの興味も残る。

太宰治は『右大臣実朝』において、実朝自身だったのか、それとも語り役の「私のような小者」だったのか。意見の分かれるところのようだが、ほぼ間違いなく後者ではないか。小説の出だしすぐに、次の文章がある。

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けれども、ただお一人、さきの将軍家右大臣さまの事を思うと、この胸がつぶれます。念仏どころではなくなります。花を見ても月を見ても、あのお方の事があざやかに色濃く思い出されて、たまらなくなります。ただ、なつかしいのです。
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愛される対象でありたいと思いながらついにはそれにはなれず、あるいはならずに、愛する立場でしかいられない、あるいは、観る側でいようと決めているのが太宰治なのではないか。「私のような小者」が実在の臣下の内の誰だったのか、「禅師さま」(公暁)に由比ヶ浜で会談することのできた実在の臣下は誰だったのかを詮索することには、故に意味が無い。


ひき続き、小林秀雄「実朝」吉本隆明「源実朝」中野孝次「実朝考 ホモ・レリギオーズスの文学」を掲載してまいります。


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